2009年7月11日土曜日

【AIMAメモ】論理と物理

AIMAを読んでいて合点がいく部分が多いのは、物理との接続に言及しているところが大きいと思う。

たとえば、知識ベース(Knowledge Base,KB)のことを、物理的な構造にすぎないとズバリ言っている。ここでの物理的な構造は、電気的であったり有機化学的であったりするわけですが、この視座に立つとき、人間の知能というものと、計算機による知能(人工知能)というものを統一的に考えることができるようになる。これは気づき。

すなわち、(+ x 2)のようなものはこれが計算機のメモリ(電気的信号の状態)なのか、私の頭の中のこれを記憶している何らかの状態(電気的信号の状態 or 有機化学的な結合状態)なのか、いずれにしても物理的な状態を指している。

統語論(Syntax)が何かということも、それも物理的な構造としての文の形を規程するものとしている。

以下、以上の文脈にて。

KBは文の集まりである。文の統語論を命題論理としたとき、KB全体を単一の文(別の言い方をすると言明)とみなすことができる。これは、KBに含まれる文(論理)がS1,...,Snだったとすると、KB = S1^...^Sn (ここで^は連言)にすぎない、ということだ。言われてみれば当然なのだが、言われるとはっとする。

そしてそもそもこの単一の言明であるKBがそもそも現実世界において真であるかということをどうやって知るかということをグラウンディング(grounding)と言う。グラウンディングは哲学的論争になっているが、ひとつの立場は、センサという機器にて解釈する、ということだ。そもそも文の生成(すなわちKBの構築)にもセンサによる知覚が用いられる。そのことにより現実世界とKBはつながりをもちつづける。

実は、このような物理との接続がない状態で今まで人工知能の書籍を読んできたのですが(例えばPAIP)、どうも、どこがどういう観点で「知能」なのかということの座りがわるかった。例えば、macsymaが人の代わりに代数演算をするということも、確かに計算機という機械が人がやっていたことをやってくれるという観点では何かしらの人の知能的な側面を実現しているということでは人工知能だよねと自分を納得させていたのだが、腑に落ちないところもあった。

そういう意味では、このエントリは大きな気づき。

# センサと知るということになると量子論との接続はどうなのよ、と思ってしまうが、今は考えない。
# 日常的なオーダーの中での知覚と知能と行動については、まずはそのオーダーで良好な物理法則をベースに考えてもよいとは思う。
# それによって人間のKBも構築されてきたのだと思うから。

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