- monadic quantificational schemata から sentences を作るということは、substitution of abstracts によってスムースに取扱うことができた。
- なんだったっけ?
- monadic quantificational schemata から sentences をつくる方法を決める。
- 'Fx'について決めれば、あとは truth-functional でいけるだろう。
- 'Fx'を再度、'F'と'x'に分解して考える。{w: Fw}x <-> Fx であった。
- 'F' は常にa term abstract として書ける。
- 'x' は a free variable であり、'a' などのan object と同等である。
- というわけで、monadic quantificational schemata から sentences をつくるには、term abstracts の部分に open sentences を入れればよい、ということになった。
- なんだったっけ?
- polyadic schemata ではどうか。また'Fxy'、'Fyx' と 'Fxx' というのはどういう関係にあるのか。
- さて、まず sentences となった状態を考える。
∃x(y amuses x more than y amuses y)
∨ ∃x(x amuses y more than y amuses x)
.-> ∃x(x amuses x more than y amuses x). - これが、
∃xFxy ∨ ∃xFyx .-> ∃xFxx.
に対して何らかの substitutions を実施した結果として得られるようにしたい。 - polyadic な abstracts を導入する。
ここでいえば、
F : {zw: w amuses z more than y amuses w}.
である。 - さて、monadic の場合は、term abstracts というのは英語の関係節の拡張というか抽象であった。
- では、polyadic の場合は、何なのか。これも英語の関係節の拡張というか抽象である。ただし英語の中に、よく相当するものは存在しない。
- その理由のひとつに、英語での関係節というのは、ほとんどの場合が、関係節単体で使われるのではなく、限量子と関係節の組み合わせとして使われるということがある。
- ひとたび、限量子と組み合わせられると、polyadic の term abstracts は monadic の term abstracts で表現できてしまう。
例:
∃{xy: x saved y from drowning}.
∃{x: ∃{y: x saved y from drowning}. - という訳で、polyadic relative clauses というのは、自然言語にはあらわれない a godsend だ! 長い道程、論理と言語を精査してきた結果、自然言語を超えて得られたものだ。
こつこつ。
0 件のコメント:
コメントを投稿